平岡農園ヒストリー
〜漁師が陸にあがるまで〜
平岡農園の創業者は、淡路島にある漁師町で漁師をしていた平岡龍麿じいちゃん。
65年前、その頃は若かった房子ばぁちゃんと小学生の息子2人を連れ、百姓を志し陸にあがったところからはじまりました。
漁師が陸にあがるまで
1924年2月19日 平岡龍麿 淡路島津名郡佐野に生まれる。
8男1女の末っ子。小学生のころから、兄達とともに漁に出る。
中学生では、大人と変わらない水揚げ量に。
16歳で、朝鮮にわたり、まき網船の漁労長に。
年齢が若すぎるため、仲間たちには19歳ということにしておく。
船の上では韓国人、日本人の境界はなく、
実力の世界、それが刺激的だった。
20歳。日本、淡路島に戻る。その後日本は戦争に突入。
陸軍船舶隊に入隊するが、出征直前に終戦。
1945年21歳のころ、船長として乗っていた船が、漁をしていたところ嵐で難破。やっとのことで島根県の石見江津にたどりつく。
この海は『嵐にあったら最後、生きて帰れない。』といわれる場所だったが、
奇跡的に乗組員が一人も死なずに助かる。記念に港の人が撮ってくれた一枚。
1945年 高須房子と結婚。
23歳と20歳だった。実は幼馴染。
淡路島で底引き網漁を続けながら、ちりめんやイリコの製造も同時にはじめる。